襦袢(じゅばん)の思い出  副教会長

 本年も生神金光大神大祭をお迎えさせていただきます。このご祭典は教祖様のお祭りです。このお道にご縁をいただく私たちは、このお道を教祖様がつないでくださったことに感謝し、教祖様のご信心を違うことなく体現できる自分にならせて下さいと祈念させていただきながら、喜びあふれる祭典にさせていただきたいと思います。

 さて、先月義母であります小阪教会前教会長近藤百代先生の50日祭並びに合祀祭が、小阪教会長ご祭主のもと執り行われました。ご葬儀の時、小阪教会の沖田悦子先生ともお話させていただいていたのですが、私と沖田先生が学院に入学する前、百代先生に教えていただきながら、着物の下に着る襦袢を手作りさせていただいたことが大きな思い出となっています。それまでずっと一人暮らしをしていたためミシンをもっておらず、高校生以来ミシンに触れてもいませんでしたが、布の取り扱いや糸端の処理なども丁寧に時間をかけて教えて下さり、結局三枚作ることができました。その襦袢は三十年以上経った今でも使っているくらいに丈夫で、実意丁寧ということの大切さを長い時間をかけて教えてくださいました。百代先生はことあるごとに名張教会のことも気にかけ、ご祈念してくださっていました。ご霊神様になられてもずっと私たちを見守ってくださることと思います。
 
 ところで、今年55歳になるということで市から歯科検診の案内の葉書が届きました。人に話すと「誰でもそうや」と言われるのですが私は高校生の時のトラウマがあって、本当に歯医者さんが苦手で今まで必要な時以外は避けてきたのですが、過去一回五十歳の時の葉書を無視していたこともあって、今回はさすがにと締め切りギリギリに予約して診てもらいました。なるべく歯医者さんには行きたくなかったので歯磨きだけはしっかりしていたおかげか、長い間放置していたわりには歯も歯茎も健康で問題なかったのですが、歯のクリーニングが必要とのことで二回に分けて通院させていただきました。歯はきれいにしてもらい本当に行ってよかったと実感しています。実はご信者さんが歯医者にいくとお届けされたり、義母が施設に往診してもらっていた歯医者さんから度々郵便が届いているのを見るたびに、自分の中では放置していることへの罪悪感のようなものが湧いてきていたのも事実で、今回いい機会をいただきました。

 教会長に話すと「体に病気があっても歯は丈夫でよかったな」と言ってくれました。それを聞いて、一方向だけ見るのではなくて多方向から見てありがたいことを見つけるそんな考え方を改めて大切にしていきたいと思いました。
 歯医者が苦手な私は処置していただいている間体がかなりこわばり、かなり力が入っていたみたいです。次の日には全身筋肉痛になり頭痛までおこりました。それが治る前に二回目の処置の日をむかえたため二重に痛みがおこりました。この痛みもおかげ。この痛みを忘れず放置することなくクリーニングに挑みたいと思います。



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